錦糸町 の 豆知識 ① 葛飾北斎 葛飾北斎 の生まれた場所は、 錦糸町イベント広場 から もう少し 両国の方に行ったところ (亀沢1丁目:今の緑町公園 のすぐそば) だと言われています。 北斎は 生涯に 93回 引越し をし、 その大部分が 本所周辺 だった ということですので、 (墨田区の内、スカイツリーから南側の部分が、本所地域です) 錦糸町イベント広場 の周辺にも、 ほぼ確実に、 住んでいたことがあるだろう と思われます。 錦糸町イベント広場 のあたりを、 北斎は、 考え事をしながら、 歩き回っていたことでしょう。 ② 鬼の平蔵 (長谷川平蔵) 錦糸町イベント広場の 南側 にある JRのガード をくぐると 江東橋 に出ますが、 今、 交番がある場所 の近くに 長谷川平蔵 が 子どもの頃に住んでいた家の跡があります。 子どもの頃の平蔵(本所の銕:テツ と呼ばれていた頃)は いわゆる ツッパリ の 放蕩者 だったようですが、 剣術だけは まじめに鍛錬に励んでいた ということです。 平蔵が 足しげく通った 高杉道場 は、 錦糸町イベント広場から 北側 に(スカイツリーの方向に) 150mほど 行ったところにある 法恩寺橋 のたもとに あった そうです。 子どもの頃の平蔵は、 錦糸町イベント広場の周辺を しょちゅう 行き来していたものと 思われます。 ③ 勝海舟 長谷川平蔵が子どもの頃に住んでいた家のすぐそばに、 勝海舟 が子どもの頃に住んでいた家の跡も あります。 勝海舟 が生まれた場所は、 江東橋から もう少し 両国の方に行ったところ(両国公園に石碑あり)ですが 勝海舟が、 子どもの頃、 遊びまわっていたのは このあたりだろうと 思われます。 ④ 芥川龍之介 平蔵や 海舟が 子どもの頃に住んでいたところの反対側に 両国高校 があります。 ここは、 芥川龍之介 が通った学校で、 校庭には 碑(随想「大川の水」) も たてられています。 龍之介は、子どもの頃、 両国4丁目 に住んでいて 両国小学校、 府立三中(両国高校)、 に通ったのだそうです。 龍之介も、 高校生くらいの時に、 このあたりで、 物思い にふけっていたものと 思われます。 ⑤ おいてけ堀 本所七不思議 の一つに おいてけ堀 というのが あります。 落語 や 草双紙 など で、 さまざまな話に脚色され、 また、 場所についても 諸説がありますが、 錦糸町イベント広場 の このあたりが 本当の おいてけ堀 だという人(藤江の祖父など) もいます。 錦糸町駅から 墨東病院の方に 行ったところに おいけて堀公園 というのもありますが、 場所についての論争は、 いまだに 決着がついていません。 錦糸町イベント広場 のある場所は、 江戸時代には、 割下水(わりげすい : 大規模な 排水路) と 運河である 大横川 と 錦糸堀 の 合流地点 だった場所です。 江戸時代に 釣りをするんだったら、 この場所が 最高の場所 だったと思われます。 きっと、 江戸前の ハゼ なんかが よく 釣れたことでしょう。 というわけで、 江戸時代には、 この場所に カッパ がいた と思われます。 ⑥ 津軽稲荷&弘前城の しだれ桜 錦糸町イベント広場の すぐそばに 津軽稲荷 があります。 江戸時代に、 錦糸町イベント広場 のあたりには、 津軽藩 の 大きな 下屋敷 がありました。 その屋敷の中にあった 稲荷 を、 一般の人にも 信仰できるように と 移築したのが、 この 津軽稲荷 です。 また、 このような関係から、 錦糸町イベント広場 の中には 近隣の有志の方々が、 弘前城 から ゆずり受けてきた しだれ桜 が 植えられています。 この桜は、 樹齢15年ほどの、 まだまだ若い桜ですが、 有名な 弘前城の桜 らしく、 見事な花をつけ、 東京で一番おそく開花し、 最後の最後まで、 咲いています。 この他にも、 錦糸町イベント広場 の周辺には、 徳川家ゆかりの何々とか、 太田道灌ゆかりの何々とか、 相撲、 歌舞伎、 浄瑠璃、 落語、などなど、 いろいろな 面白い場所 が点在しています。 こまごまと説明していたら きりがない ので やめますが、 興味のある方は、 ぜひ、 いろいろ散策してみてください。 Copyright(C)1997-NOW 環境を考える市民の会 代表者 All Rights Reserved. |